何のために調べるか
小3息子の夏休みの課題で、「外国の遊びを調べてくる」というのが出た。
おかあさんパソコン貸してー、というのでどうぞと言って隣で眺めていると、
「外国の遊び」と検索窓に入れてぽちっとしている・・・そして、上からいくつかを開いては、なんとなく眺めている。
ちょっと待って〜〜、と思うわたし。
「今、何を知りたくて調べてるの?」
「え、外国の遊び・・・」←ありがちなレスポンス
「外国の遊び(は)( )」と紙に書いてみる。
( )に何か言葉を入れるとしたら何が浮かぶ?と聞いてみる。
「外国の遊び・・・にどんな種類があるか」
と苦し紛れに言う息子。
それはやってみたいの輪っかに入ってる?やる必要がやるの輪っかに入ってる?と聞いてみる。
「やってみたいの輪っかには入ってない。」
じゃあもうちょっと広げて「やってみたい」の輪っかにも入りそうなこと考えてごらんよ。
しばらくしたら
「外国の遊びで、面白そうなのはあるか」
「外国の遊びで、日本でもできそうなのはあるか」
「外国の遊びで、学校でできそうなものはあるか」
「外国の遊びで、日本と似ているのはあるか」
「外国の遊びで、珍しいものはあるか」
と、いろいろ出てきた。
さらに、「外国の遊び」で検索する以外の方法(アメリカの遊び、と入れるとか)も思いついて、ようやく「調べてみる」が整ってきた感じ。わたしも気持ちよくパソコン貸せる感じ笑。
わたしが小学生の頃にも「調べ学習」というものがあった。テーマ自体は先生が設定したものではあったけれど、少なくとも問いを立てるところまでは授業の中で扱っていた記憶がある。共有された疑問を解くために調べる、というプロセスははっきりしていたと思う。でも今なんかそういうの薄くなってるなあ、と思う。そんなに悠長にやっていない、というか、いろいろやることがあって、どんどんこなしていくしかない、みたいになっている気がする。いつのまにか。
息子たちの学校も、わたしが働いている学校も、なんだかとても忙しい。忙しすぎて、じっくり勉強してる暇がない笑。いや、笑じゃない。
それが今のわたしにはとてもひっかかるし、どうにかしたいと思っていることなんだなあ、と思う出来事だった。