甘夏edu

育つ、育てる、育む、教育などなど、「育」関連のあれこれについて

歓びを源に。映画館でバレエを見た話

友達に誘ってもらって、「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」というのを見てきた。オペラやバレエといった舞台の内容を、映画館のスクリーンで見られるのだという。このところ家の中で本読むか落語の音源聞くかばかりで世捨て人っぽさが加速している気がしたので、「しゃんとしたい」というよくわからない動機で、行ってみることにした。演目はくるみ割り人形

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開始前や幕の合間にていねいな解説が入るのがこのプログラムの特徴だそうで、冒頭に解説の人たちが出て来て「さあ、クリスマスですね!」「みんなが大好きな、あのくるみ割り人形!」(意訳)と晴れ晴れと告げた瞬間、涙が出てきてしまって困った。メインのダンサーも出てきて「初めての役はジンジャーブレッドの精でした。クララをやれて嬉しい」とか話すので、「よかったねえええ」と心から思う。たくさんの人たちが「くるみ割り人形」を宝物のようにして見たり演じたりしてきたのであろう、その長い歴史に思いをはせてしまう。

舞台はすばらしいものだった。わたしはどちらかというと、引き算の美こそ正義、侘び寂び大好き、というタイプだけど、それとは真逆の世界がこんなに美しいなんて、思ってもみなかった。手の込んだ舞台装置、夢のように美しい人たち。優しい物語。こんな世界があるんだなあ、と呆然とした。子どもの頃に出会っていたら、きっとすっかりとりこになって、帰り道にくるくるし出したり、お絵かきがいきなりバレリーナの絵ばっかりになっちゃったり、していたんだろうな。

パーティーシーンの群舞で泣き、団に入って20年目だというダンサーの踊りに泣き、夢と現実が交差するラストシーンに泣き、カーテンコールでももちろん泣いた。何がそんなに心に触れたんだろう、と考えてみる。喜び、幸福さ、躍動感、神聖さ、積み重ね・・・いろんな言葉が浮かぶ。何よりも、伝わってくるそれらの質量に圧倒された。誰もが、「心から」という感じでそこにいる。

侘び寂びワールドの住人であるわたしたちは、臆面もなく「これまでの努力が実って嬉しい!」とか、「これ最高の舞台だから一緒に楽しもうよ!」とか言わない。N響アワーであんな風に「この楽器の魅力はこうでああで」なんて言ってるのも聞いたことがない。みんな控えめで、謙虚で、慎ましい。

そういう美しさもたしかにある。が、そこではいろんなものが隠され続けている。そうすると、隠されているものについて「分かっているふり」をしなくてはならない気持ちになる。ふりをし続けるのはやっぱり、ちょっと疲れる。

「しゃんとしたい」と思ってバレエを見に行ったわたしのチョイスは正解だった。でも、わたしが触れたのは、敷居の高さとか格調の高さとか(白タイツの特異性とか)ではなく、歓びを源にして動いている人たちの、圧倒的な力強さだった。

圧倒されたまま、日付が変わろうとしている。