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お母さんの笑顔は家族の笑顔・・・的な

「お母さんの笑顔は家族の笑顔」的なフレーズを、ここ1ヶ月で何回か聞いた。

この言葉、これまでも何度となく聞いてきている。聞くたびに、まあ間違っちゃいないんだろうけど、なんだかなあ、という気持ちになる。

数回聞くうちに、あることに気づいた。「お母さん」非当事者は、この話を「お母さんが笑ってることが大事だから、もっと自分が楽しいことをしていいんだよ」という文脈で語る。一方で、「お母さん」当事者は、「だから笑顔でいられるように(気持ちの安定を)頑張ろう」という文脈で語る。

同じ言葉が、まったく別の話になっている。

自由とか喜びについての話をしているつもりでも、それを家族が笑顔でいるための手段または条件として語ってしまうことで、受け取り手は「喜怒哀楽を隠して笑顔でいるべきだ」的な話として受け取ってしまう。この行き違いには、ちょっと注意が必要だと思う。

自分が楽しいことをするのに、本来理由はいらないはずだ。けれど、理由もなく「ただ楽しいことをする」に許可が出せない感覚が、両方にあるのかもしれない。し、それは「お母さん」だけじゃなく、いろんな人にあてはまるのかもしれないなあ、と思う。

わたしは、誰のためとかじゃなくて、笑いたい時に笑いたいし、それと同じように、怒りたい時には怒りたい。好きなことをする時も、好きじゃないけどする時も、自分が決めた、と思ってやりたい。